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2019年5月17日 (金)

地方都市の戦中戦後① 太平洋戦争開始

5月1日から令和の時代となりました。昭和から平成を経て時代も変わって来ました。戦後生まれの人口も84%となり、太平洋戦争を経験した人も少なくなってきました。太平洋戦争は歴史上の過去の出来事として忘れられつつあります。

太平洋戦争が始まったのは昭和16年12月8日、戦争が終ったのは昭和20年8月15日でした。当ブログは昭和15年7月生まれです。知る限り戦争のことを伝えて行きたいと思っています。

これまで「戦中戦後の頃」について80話ほど書いて来ましたが、乏しい体験で書くことも尽きてしまいましたので、今度は当ブログが当時住んでいた静岡県引佐(いなさ)郡三ヶ日(みっかび)町の町史より「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いて行こうと思います。

三ヶ日町は豊橋と浜松の中間ほどの位置で浜名湖北岸の田舎町です。豊橋、浜松、岡崎、名古屋など空襲のときは、大型爆撃機B29やグラマンと呼ばれたF6Fや艦載機P51戦闘機などの通り道になっており機影は何度も見ました。

三ヶ日町は現在、浜松市北区三ヶ日町ですが、当時は引佐郡三ヶ日町と引佐郡東浜名村でした。ここでは開戦から終戦後の物資の乏しかった頃までを項目別・年代順に書いて行こうと思います。

資料は「三ケ日町史」(発行者 三ヶ日町、発行年月日 昭和54年3月15日)より拝借し抜粋して書いて行きます。

太平洋戦争の開始

 昭和16年12月8日(1941)朝6時過ぎ、「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於いて米英軍と戦闘状態に入れり」という大本営発表の臨時ニュースが流れ町民を驚かせた。
 同日、米英に対して「宣戦の太詔(せんせんのたいしょう)」が発せられ、新聞・ラジオの報道する真珠湾攻撃、ハワイ・マレー沖海戦など、大勝利のニュースが次々に知らされ国民を狂喜させた。この戦争を「大東亜戦争」と命名したが、今日歴史的には、「太平洋戦争」と呼ぶようになった。
 三ケ日町では相次ぐ勝報に米英打倒の町民大会を、昭和16年12月17日三ヶ日町国民学校において盛大に挙行した。
 
昭和17年1月8日より宣戦布告の日を、「大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)」と定め、毎月国民挙げて必勝祈願の日となった。三ヶ日町は同年2月18日戦勝第1次祝賀旗行列を児童参加のもとに挙行し、同年3月12日 第2次祝賀式を行い、米英を打倒し勝ち抜く決意を示した。

 

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