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2019年6月 4日 (火)

地方都市の戦中戦後⑲最終回 物価の上昇

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その19回目、最終回となります。(三ケ日町史より抜粋)

物価の上昇と家計の状況

 終戦後、諸産業の活動は徹底的に崩壊し、異常な通貨の膨張は生活物資の欠乏と驚くべき物価の高騰を招き、人々の生活は破局的なインフレの危機にさらされることになった。昭和14年を100として公定料金の推移をみると、昭和20年が343、昭和21年が648となっている。米価の場合は、昭和22年白米1kgが9円96銭であったものが、闇値では116円で売られ10倍以上の価格で売買されていた。大麦・小麦・サツマイモ・ジャガイモもほぼ同じ傾向であった。
 インフレの波はさらに国民の経済生活を揺り動かし、直接戦災を受けなかった町民もインフレの渦中に巻き込まれていった。三ヶ日町内における1世帯1ケ月の消費支出を見ると、昭和21年の消費支出中、食糧費の占める割合は70%となり、22年65%、23年60%と徐々に好転しているものの、収入のほとんどを食生活に回し、最低生活を送っていたことになる。
 その後、いくつかの経済政策が施行になり、生産も徐々に回復し、輸入物資の増加も加わって、物価の上昇は鈍化した。そして昭和23年7月に封鎖預金は解除され、同年12月、政府は経済安定9原則を発表し、翌24年からドッチ・ラインに沿う強力な措置をとったため、戦後長らく続いたインフレの危機は次第に緩和されていった。

これで「ある地方都市から見た戦争」と題しての話を終わります。当ブログが生まれ育った三ヶ日町について、戦争の始まった昭和16年から20年の敗戦を経て、24年までのやっと経済の安定してきたころまでを書きました。ご覧いただきありがとうございました。 


 

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