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2019年6月 2日 (日)

地方都市の戦中戦後⑰ 諸物資の不足

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その17回目です。(三ケ日町史より抜粋)

諸物資の不足

 戦後は食料と共にあらゆる生活物資が不足した。中でも衣料はもっとも不足していた。衣料品は戦争中と同じく、点数切符制で年間の点数が決められ制限されていたので、それ以外で衣服を求めることは出来なかった。
 男子は戦争が終っても戦時服のまゝであったが、占領軍が主要都市へ進駐してきてからは、三ヶ日町民の服装もその影響を受け急に変わった。ジャンバー姿が増えていった。
 女子はかすりのモンペに防空頭巾スタイルが戦後もしばらく続き、やがて昭和23年からはロングスカートになっていった。いずれも古着を利用して作り直したものであった。
 極度の窮乏生活に誕生したのが都市におけ
る「ヤミ市」であった。三ヶ日町内では「ヤミ市」とまではいかなかったが、ヤミで生活用品の売買は行われていた。浜松、豊橋、名古屋へ出かけ、配給統制外の用品を買い求める町民もかなりいた。
 この頃の生活を現わす言葉に「モク拾い」(煙草の吸殻を拾うこと)「カストリ密造酒」(品質の悪い酒)「タケノコ生活」(衣類など売る生活)などあり、世相を物語っていた。
 「リンゴの歌」が流れるようになったのは昭和21年だったが、リンゴなど憧れの果物であった。この明るい歌は生活に疲れ果てた人々の心に希望を与え、殺伐とした世相に明るい灯をともしていった。しかし、食糧事情や生活諸物資はますます悪化するばかりであった。

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