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2019年6月 1日 (土)

地方都市の戦中戦後⑯ 食糧難・・B

「ある地方都市から見た戦争」と題して 戦中戦後のことを書いています。その16回目です。(三ケ日町史より抜粋)

食糧難・・B

 昭和21年の稲作は平年作に近づき、配給は国民の強い要望により、同年11月から1人1日、2合5勺と改められたが、これでもとても足りず、3合配給の強い要求運動が続いた。同年の収穫は1日分に直すと1人当たり2合8勺強の収穫となり、これにサツマイモ、ジャガイモを加えると、3合配給が可能というものであった。しかし国内の食糧を先食いしたこと、引き揚げ者の増大などにより、昭和22年も遅配が全国的に広がり、戦後最悪の食糧難となって3合配給は実現不可能であった。
  翌年度は、昭和22年の稲作は平年作になったこと、輸入食料の放出によって、昭和23年11月からは、2合7勺となり3合配給にやっと近づいたのであった。
 このような中で、三ヶ日町民の生活も緊迫度を加えたのは事実で、農家においてすら、食べて生活するのに精いっぱいであった。
 当時の新聞にはこんな記事もあった。「食糧危機に備えて、家庭で簡単にできる未利用資源の活用」と題して、「使用後捨てていた茶殻は乾燥した後、刻んで佃煮にするか、ご飯の中に入れると風味がある茶飯となり、そのまま衣をかけててんぷらを作ればたんぱく質も多い。ジャガイモやニンジンの葉、野菜などいずれも細かく刻んでごはんに混ぜれば、カロリーも相当あって食べ延ばしに有効である。」
 とにかく食べれるものは何でも食べて生活したのである。

 
この「ある地方都市から見た戦争」のブログは19回までです。あと3回です。

 

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